第十七回 Buenos Airesで 後編
2008年 10月 16日
レコレータ墓地には財力のあるファミリーだけが入れるそうだ。しかし家族や子孫のケアだけで運営されるため、中にはホラー映画に出てきそうなほど朽ちた納骨堂も... そんなところを通ると体感温度が一気に3℃くらい下がる、気がする。
墓地を後にし、Mさんは私をすぐそばの教会へ案内してくれた。
ここに祀られた聖母マリアさまは、ブエノスアイレスから列車またはバスで1時間半ほどの聖地ルハンから来たマリアさまとのこと。背中に後光がさして、女性らしい暖かみを感じる。
教会を出た時、Mさんは私にこのルハンのマリアさまの細長いメダルをそっと握らせてくれた。アルゼンチンカラーである水色と白のストライプのリボンが付いた、直径2cmくらいのメダル。「私はこれをフライトの時にお守りにしてたの。でも、私はもう飛ばないから、今も飛んでいるMJにあげる」。
その不意な優しさに、心がぐぐっとなって涙が出そうだった。お礼を言ってポケットにしまう。これを大事に持っているうちは私は大丈夫な気がした。そしていつか、私が地上に降りた時には誰かに同じように渡すのかも知れない、と。
夕方が近づいてきた。早足でLa Boca(Caminito) と呼ばれる港町へ。
ここは、色とりどりの壁が有名。アーティストの卵たちが集まる場所で、あちこちにタンゴダンサーが踊っていたり、絵画やアートワークが置かれていたり。
この壁は、決して初めからアート目的でカラフルに塗られたわけではないそうだ。アフリカやヨーロッパからの移民が最初に住み着いたこの町は貧しく、同じ色のペンキで壁を塗ることができなかった。そのために色々な余りペンキで壁を塗るうちに、カラフルになっていったのだという。
ここでもちょっと歩くたびに男の人が「Bonita, 踊りを見て行かない?」とMさんに話しかける。足早に過ぎながら「結構よ。ダンサーなの」と答えるMさん。一人、ものすごーくしつこく誘うおじさんがいて、彼は私たちが通るたびにさあ踊ろうと腕を広げる。観念したMさんは苦笑い、バッグを私に預けて野外ステージへ。ほんの数ステップ、観客も私もみんなその華麗な姿に釘付け。空気が変わる瞬間を、初めて体験したかもしれない。
あんなにしつこかったおじさんは「参ったな」と言いたげな表情。自分はたいして踊れなかったのね。。。
そんなハプニングもあり、カミニートを後にした私たちは、最後に世界で一番広い通り「7月9日通り」へ。片側9車線に、植樹され綺麗に緑の芝生が敷かれた歩道。信号は4つ、急いで渡らないと渡りきれない!
大きな塔のモニュメント、オベディスク(オベリスク)はアルゼンチンの象徴。
世界三大劇場のひとつ、コロン劇場は残念ながら改修工事中で中に入ることはできなかった。だいぶ夜も更けてきたので、そろそろお別れの時間。Mさんはタンゴの練習に、私は次の日のフライトに向けて休息を取らなければ。
スーパーマーケットでマテ茶などを買って、MさんとハグをしてBuenos Airesでの特別な一日にさよなら。また行きたいな...
墓地を後にし、Mさんは私をすぐそばの教会へ案内してくれた。
ここに祀られた聖母マリアさまは、ブエノスアイレスから列車またはバスで1時間半ほどの聖地ルハンから来たマリアさまとのこと。背中に後光がさして、女性らしい暖かみを感じる。
教会を出た時、Mさんは私にこのルハンのマリアさまの細長いメダルをそっと握らせてくれた。アルゼンチンカラーである水色と白のストライプのリボンが付いた、直径2cmくらいのメダル。「私はこれをフライトの時にお守りにしてたの。でも、私はもう飛ばないから、今も飛んでいるMJにあげる」。
その不意な優しさに、心がぐぐっとなって涙が出そうだった。お礼を言ってポケットにしまう。これを大事に持っているうちは私は大丈夫な気がした。そしていつか、私が地上に降りた時には誰かに同じように渡すのかも知れない、と。
夕方が近づいてきた。早足でLa Boca(Caminito) と呼ばれる港町へ。
ここは、色とりどりの壁が有名。アーティストの卵たちが集まる場所で、あちこちにタンゴダンサーが踊っていたり、絵画やアートワークが置かれていたり。
この壁は、決して初めからアート目的でカラフルに塗られたわけではないそうだ。アフリカやヨーロッパからの移民が最初に住み着いたこの町は貧しく、同じ色のペンキで壁を塗ることができなかった。そのために色々な余りペンキで壁を塗るうちに、カラフルになっていったのだという。
ここでもちょっと歩くたびに男の人が「Bonita, 踊りを見て行かない?」とMさんに話しかける。足早に過ぎながら「結構よ。ダンサーなの」と答えるMさん。一人、ものすごーくしつこく誘うおじさんがいて、彼は私たちが通るたびにさあ踊ろうと腕を広げる。観念したMさんは苦笑い、バッグを私に預けて野外ステージへ。ほんの数ステップ、観客も私もみんなその華麗な姿に釘付け。空気が変わる瞬間を、初めて体験したかもしれない。
あんなにしつこかったおじさんは「参ったな」と言いたげな表情。自分はたいして踊れなかったのね。。。
そんなハプニングもあり、カミニートを後にした私たちは、最後に世界で一番広い通り「7月9日通り」へ。片側9車線に、植樹され綺麗に緑の芝生が敷かれた歩道。信号は4つ、急いで渡らないと渡りきれない!
大きな塔のモニュメント、オベディスク(オベリスク)はアルゼンチンの象徴。
世界三大劇場のひとつ、コロン劇場は残念ながら改修工事中で中に入ることはできなかった。だいぶ夜も更けてきたので、そろそろお別れの時間。Mさんはタンゴの練習に、私は次の日のフライトに向けて休息を取らなければ。
スーパーマーケットでマテ茶などを買って、MさんとハグをしてBuenos Airesでの特別な一日にさよなら。また行きたいな...
by maikojazz
| 2008-10-16 08:41
| 旅先; 中南米